随處作主 (ずいしょにしゅとなる)
禅の言葉に「随処(ずいしょ)に主(しゅ)となれば、立処皆真(りっしょみなしん)なり」というのがあります。
どんな場所、どんな時でも自分がはっきりと目を覚ましていれば、その場所、その時がそのまま佛教の真理であるという意味です。
私たちが進む人生の道は、平坦(へいたん)で楽な道とは限りません。人生の先輩が言うように人生は山あり谷あり辛(つら)くて大変です。幾度も悲しみ苦しみに出遭い、挫折(ざせつ)しそうになります。 その障害を一つ一つ乗り越えていくのは、やはり自分自身なのです。
弱音(よわね)を吐(は)きたくなる自己との葛藤(かっとう)の中で、私たちは自己の人生を知らねばなりません。お釈迦さまは「自(みずか)らを灯明(とうみょう)として、自らを拠(よ)りどころとせよ」と示しています。最終的に支えとなるのは自己しかないのが事実であります。
人生の支えの「さ さ え」となるのが、「随處作主 (ずいしょにしゅとなる)」の心意気であります。人生の分岐点でどちらに進もうか散々悩み、こちらが良いだろうと私たちは歩みをはじめるのですが、途中で別のほうが楽だったと思うのが私たちです。が、私が選んだ道をベストとしなければ、いつまでたっても心のモヤモヤは晴れません。
どんなところでも自分のアイデンティティーをもって精一杯全力を尽くすこと。
どのような道、どのような仕事であろうとも、その先々で懸命に勉強して、その分野に関してのすべてを、そしてすべてについての何かを学び、誰にも負けないプロフェッショナルになること。